資本主義で環境問題を解決しようとする考え方――『グリーン資本主義』読書ノート

 

はじめに――環境問題は資本主義では解決できない?

最近ベストセラーになっている『人新世の資本論』。私はまだ読めていないのだが、SDGs批判・グリーン・ニューディール批判として話題になっている。

私自身はSDGsもグリーン・ニューディールも賛成派ではあるのだが、もちろんそれだけを信奉していれば環境問題が解決できると楽観視する気持ちは毛頭ない。むしろSDGsを「よくわからんがいいものなんだろ?」と安易に飛びついている昨今の流れには、若干危機感を感じてもいる。それについてはおいおい『人新世の資本論』読書ノートで触れたいと思う。

さて、それでも私がグリーン・ニューディールに賛成するのには根拠がある。今日はその根拠を固めてくれた書籍の読書ノートを書いた。その書籍とは『グリーン資本主義 グローバル「危機」克服の条件』(佐和隆光, 2009)。若干古めではあるものの、考え方に現在の世界状況とのズレをあまり感じないため、紹介しよう。

『グリーン資本主義』のテーマ

この本のテーマは徹頭徹尾、「経済成長と環境問題解決は両立できる。それどころか、グリーン・ニューディールが先進国経済を牽引する」というもの。ちなみにグリーン・ニューディールとは「グリーン(=環境に配慮した”エコ”な製品)」なものへ国が積極的に投資し、雇用を生み出す」という考えに基づいた政策である。元々WWⅡのアメリカ大統領フランクリン・ローズヴェルトによって行われた「ニューディール政策」にあやかって命名された。

理論的背景から言うと、この「経済成長と環境問題解決の両立」という考え方は「エコロジー的近代化(Ecological Modernization=EM)論」の流れを汲んでいるといえる。EMとは、現在の政治システムに抜本的な改革を加えることなく、漸進的に環境配慮行動を進めていこう」とする考え方で、法律で環境に悪い製品を規制しながら、エコ製品に補助金を出し、徐々に持続可能な社会体制に移行しようとする…これはまさに環境先進国EUのやり方であるが、こうした政策はEMを背景にしている(金 2010)。

私は環境問題解決における企業の力を非常に強く信じている節があるので、EMには強く賛成している。その反面、その問題点についても自覚せねばならないと思っている。どんな問題点が挙げられるのかについてはしばし深堀が必要だと思うので、今日は割愛。頑張って考えてきます。

それでは、本書における筆者の主張を見ていこう。

筆者の現状分析

さて、筆者は現状の経済・環境をどのように捉えているのだろうか。

★経済
→先進国:公共投資で内需を喚起するのはもう無理。ニューディール政策をやっても無駄。
└国内で物を買わせようとしても、もう買わせる物がない。皆持ってるから。

→途上国:内需の喚起はまだまだ有効。物が普及しておらず、不足している場所も多い。
★環境
→21世紀は「環境の世紀」
【なぜそう言えるのか?】
→深刻化に伴い、人々の意識が集中する
→環境保護への動きが活発化する
→環境保護へ投資しようとする動きが増える

筆者の主張

筆者の提示する戦略

以上の現状分析を踏まえて筆者は、環境の世紀である21世紀の成長戦略を「先進国と途上国で変えていく」ことを主張している。

途上国:耐久消費財の普及をめざす ➡内需の喚起を。
先進国:グリーン・ニューディール ➡環境配慮型製品への投資を。
物質が飽和している先進国において「購買意欲を煽り、物を買わせて売上を上げること」がもはや時代遅れと言えるのは、シェアリングエコノミーやミニマリズムの台頭からも読み取れる。昨今の現代人は物をストックするどころか「物から解放されたい!」と願っており、その証拠として”断捨離”を中心テーマに掲げたこんまり先生の『人生がときめく片づけの魔法』はベストセラーとなった。
 
物はストックするのではなく、フローで使用する。自ら所有するのではなく、社会全体でシェアしながら必要に応じて使う時代となっているのだ。本来「所有していること」自体がステータスだったはずのブランド物だってレンタルが流行している。ここから見ても、先進国では現状維持での内需の喚起は先細りであるとわかる。
 

一方、絶対的に物が不足している途上国では、当然「全体の所得水準の向上→物欲の喚起→物をどんどん買ってもらう」という戦略が有効である。

しかし、ここまでで「先進国で内需の喚起が難しい」ことは分かったが、その打開策としてなぜ「グリーン・ニューディール」でなくてはいけないのかがまだ分かっていない。筆者はそこをどう考えているのか。

グリーン・ニューディールが「いける」理由

筆者が「グリーン・ニューディールはいけるぞ!」と考える理由。それは「イノベーションは『これを解決したい』という願いの連続の下で生まれてきた」からである。

例として、5Gを挙げよう。5Gは高速通信を可能にする最先端の通信技術である。私が初めてガラケーを知った時はまだ3Gだったが、通信技術はあっという間に2段階もG(eneration)を上げてしまった。

だがこれは、通信技術に携わる人々が「なんとなくだけど、将来のために技術向上させとくか~」と進歩させてきたわけではない。解決したい問題があったからこそ、進歩させてきたのだ。もっと大量のデータを送りたい、送れればこんな問題が解決できる…!その気持ちが技術を高度にしていったのである。

もちろん、技術が出来上がってから「〇〇ができるぞ!」が提示されることも否定できない。しかし、何の目的もないままに技術が進歩するわけではないことは間違いないだろう。

これに関しては、2:30あたりから1G~5Gの進化についてあっちゃんが分かりやすく説明しているのでご参考までに。

【次世代通信5G①】5Gで世界は変わる!インターネットが普及した時以上の革命

引用元:中田敦彦のYouTube大学

これを踏まえて考えてほしい。21世紀で解決しなければいけない最大の問題は何か?筆者にとって、そして私にとってその答えは無論、「環境問題」である。環境問題の特に気候変動問題――温室効果ガスにより地球の平均気温が上昇し、そこからもたらせる様々な被害―――これが21世紀最大の論点となっていくだろう。昨今取りざたされているSDGsの1つにも挙げられており、菅政権もバイデン政権も頻繁に言及している。

先ほどの5Gの例で示した通り、解決せねばならない問題を目の前に、人々は解決策を練り、それに伴いイノベーションやビジネスが生まれていく。その動きの中で経済・技術の成長が生まれるのは必至であろう。グリーン・ニューディールは「この動きを加速させるために公的に資金を投入していく」と言っているのである。

こうして「グリーン・ニューディール」は鈍化する経済成長をを打ち破る次の潮流となる…これが筆者の主張である。

日本でグリーン・ニューディールは可能か?

私の実感として、日本人は「環境問題は倫理的な問題である」とモラルを煽っても反応が薄い国民性であるように思える(エビデンスはありません、実感です)。同時に「海外の事例」に弱い国民性でもあるため、「海外では環境問題にグリーン・ニューディールで取り組んでいる」「日本は遅れているぞ!」と示すのは、日本におけるグリーン・ニューディール促進において効果覿面かもしれない。だったら、アメリカやEUの例をひいて投資を煽るのが最も効率的なのだろう。

その一方で、この方法は非常に脆弱でもある。やはり行動は内発的に動機づけられない限り、長期的には継続しない。投資はしたものの後が続かないのでは意味がない。

しかし、あまり目立っていないかもしれないが、日本でも環境問題への取り組みでビジネスをしている企業はある。例えば株式会社ピリカはその1つだ。ピリカはごみ問題の解決に強く力を入れている企業で、環境問題の解決を本業としてビジネスを成り立たせている。他にも、本業としてではなく製造プロセスで環境問題に取り組んでいる例ではユニ・チャームも挙げられる(私はおむつの100%リサイクルに度肝を抜かれた)。

こうした持続可能性に携わる企業が、グリーン・ニューディールによって追い風を得て活躍していけば、環境問題解決へ一歩一歩進んでいけるのではないか、と私は考えているのだが、甘いのだろうか。

おわりに――持続可能性を求めて

枯渇する資源を使う産業はいつか限界を迎える。石油を中心とした産業は、石油がなくなれば試合終了だ。現段階でどの程度の埋蔵量があるのか正確に知ることは不明だが、いずれ終わる…ということは間違いない。

今後何十年も地球で営みを続けていく我々若者にとっては、いずれ終わるものに依存し続ける社会システムの中でなんて、とても恐ろしくて生きていけない。何とかして大きく舵を切り、持続可能な社会・経済システムへと転換していきたい。その思いで環境問題を研究し、生涯の仕事としたいと思っている。

しかし、「環境を守ろう!」と綺麗事を言っていたって人は動かない。その点、経済の力は非常に大きく人に影響を与え、人を行動させることができる。グリーン・ニューディールは我々の持続可能性への一歩を後押ししてくれるのか?これについては今後、注意深く見守っていく必要がある。

出典

  • 佐和隆光『グリーン資本主義 グローバル「危機」克服の条件』(2009.12, 岩波新書)
  • 金 基成(2010). エコロジー的近代化言説とEUの気候変動政策――ストーリーラインの類似性とその政治的含意――立命館法学, 5・6 号(333・334号), 529-550

コメント

タイトルとURLをコピーしました