大学4年間を振り返ってみて
3月24日、大学の卒業式がありました。諸事情あって私は出席しなかったので、コロナ禍で人との接触が減ったのも相まって、私の大学4年間は「卒業しました感」をほとんど感じることなく、幕を閉じることになります。
……と思っていたのですが、そんなことはありませんでした。というのも昨日、大学で所属していたディスカッションサークルで同期会を開催。大学4年間を振り返る機会をいただきました。やったー卒業生っぽい(?)。6人いる同期のうちの1人が一人暮らしをしていて、そのお部屋にお邪魔しました。なんとお部屋は「スマートロック」という機能がついていて、スマホで鍵をするタイプでびっくり。ITは進化が著しい…。
今日集まれた5人の中では、4年間を振り返って様々な話が出ました。その中でも印象に残ったのが、「他人になんて言われたら嬉しいか」という話。当然、1年生の時と今では、言われたい内容に変化があります。改めて「他人にどう思われるのが自分にとって理想の姿か」考えさせられました。『7つの習慣』第2の習慣「終わりを思い描くことから始める」で、コヴィー先生も「自分が死ぬ時に他人にどう思われたいかを思い描き、その人になれるように努力せよ」と言っていますが、普段はなかなか考えない。ここでの会話を通して、自分はどうやら、「かっこいい」と言われるのが嬉しいらしいということを発見。“女らしさ”と対照的な“女らしくなさ”を指摘されると嬉しいと気づきました。この辺はまた、高校演劇で男装していたことも含め、改めて深堀りしたいと思います。
さて、こうして4年間を振り返る時間を与えられたので、ここで1度整理しておこうかなと。以前の記事(下のリンク)で「教養」について4年間考えたことを書いたので、今日は精神的な成長という面で書いてみます。

大学1年生 → 典型的な四月病にかかる
大学1年の自分を今、一言で表現するとしたらそれは「深刻な四月病罹患者」です。四月病って皆さんご存知ですか?
4月の新生活開始にあたり、新人に限らず、やる気があり余った結果、ストレスを溜め込み、心身の不調を呈する状態が四月病です。 https://bizspa.jp/post-146380/ 2021/03/25 0:41閲覧
そう、1年生の私はやる気に満ち満ちていました!というか満ち溢れすぎて爆走気味でした。このパンパンに膨れ上がったやる気の根底にあるのは、「社会階層をかけ上がらないと」という焦りでした。
私は母子家庭で育ち、幼い頃から「うちはお金がない、母は苦労している」と思いながら育ちました。まだ子どもで、何にお金がどれぐらいかかるかも分からず、とにかく自分がお金を稼げるようになり、母に楽をさせたい!と。勉強をすればどうやら稼げるようになるらしいと朧気に分かっていたので、頑張って勉強しました。勉強が好きだったのもありますが。
高校入学後、1度バーンアウトしたものの、高2後半で持ち直し、特待生で塾へ通うように。少ないリソースで多くのリターンを得ようと必死になっていました。この思考は大学入学後も続き、「高い授業料払って通う大学、少しでも多くのことを吸収せねばならない。不眠不休で。バイトも就活も講義も何もかも詰め込み可能な限り多くのインプットを!」と、走り出したのでした。
その結果は無惨なもので。実家から片道2時間半かけて通っていたので睡眠不足で常に頭は朦朧。無駄に意識が高いので電車でも寝ずに勉強。するけど非効率。結果、単位をボロボロ落として、1年後振り返り「あれ、何やってんだろう自分」と、搾りカスみたいな自分に失望。散々な1年目でした。
大学2年生 → 周りを見下す
「勉強しないやつなんてクソだ!」
大学2年生になり、社会学という専門分野に進んだ私を待っていたのは、少しショッキングな現実でした。それは「大半の学生にとって、勉強なんてどうでもいいことである」ということ。1年の時から薄々気づいてはいたものの、専門課程に入ったら皆真剣になるのではと思っていたのを見事に裏切られました。なぜなら高いレベルと意識を持った学生たちと切磋琢磨する大学生活を夢見ていたからです。海外の大学でよく見るような、講義前/内で激しく議論したり何冊も本を読んだりという風景に憧れていました。大半の学生がそういったことに興味がないことに気付いた時、わりとショックを受けて…。そのうち、高い授業料を払って寝ている人や内職している人に対して、自分には無関係なのに腹を立てるように。そしてそういう人達を、「この貴重な時間を理解していない、無駄に使っているバカ」だと見下し始める。…これって、「勉強頑張ろう」と向上心を高く持った人なら1度は通過する道なんじゃないかと思いますが、私にとってそれは大学2年生の時でした。
「他人より上か下か」という思考から抜け出せない
また、中学〜大学受験で、教育/学習の成果を偏差値で序列化されてきた私は、自分と他人の“すごさ”を「自分より様々な数値が相対的に上か下か」でしか測れない頭になっていました。様々な数値とは、TOEICスコアやGPA、資格の有無や、インターンで従事している内容など。
だから自分より優れた“数値”を持っている人に劣等感を感じ、追いつかないとと焦りを感じ、追いつけないと嫉妬して攻撃的になったり距離を取ったり。今考えればすごく生きづらいライフスタイルを選択しているなあという感じ。何より、常に相手より上か下かという思考に取りつかれているから、見下したり憧れたりの毎日で、自分を見つめる時間が少なくなる。本当に見なきゃいけないのは今の自分がどんな自分に成長したいかなのに、他人のことばかり気にしていました。
大学3年生 → 他人の人生を生きるのやめる
のびのび生きているパートナーの影響を受ける
大学3年生になると、ゼミに所属することになります。私は高校3年以来憧れていた教授のゼミに所属。本格的に専門分野を身につける生活が始まりました。 それと同時に、大学1年生の時にインターン先で出会い付き合い始めたパートナーから受けた影響が、徐々に私のライフスタイルに浸透し始めたのです。 私のパートナーは、自分と他人を比べることをしません。私のことを、私が可視化された何らかの”数値”を持っていたからではなく、私が頑張ろうとしているその努力の過程自体が尊いからという理由で、受け止めてくれる人です。また、「逆算思考」の持ち主で、まず目的地を決めてからそこへ到達するまでの道のりを決め、着実に努力するタイプ。私はとりあえず努力!と闇雲に走り出して色々なものを網羅しようとする「網羅思考」タイプなので、彼の効率的な努力法に驚かされました。彼は一見、肩に力を入れて努力する感じではなく、大学の単位も必要最低限の努力で効率的にとっている人なので、おそらく大学2年の私が大学で出会っていたら「こいつ努力しねえな」と一方的に切り捨てていたでしょう。でも、彼は着実に向かう先を見据えて、のびのびと日々の幸せを享受しながら、自分のペースで努力する人だったのです。彼の表面だけを捉えていたら、彼の本当の良さには気づくことができなかったと思います。彼からは、「人の表面的な努力姿勢でその人を判断すること」「他人と比べること」のアホらしさを学びました。
『嫌われる勇気』を読む
『嫌われる勇気』、大ベストセラーですね。書店に行くと100%置いてあります。私はあまり自己啓発本が得意ではないのですが、この本だけは広く読まれてほしい自己啓発本です。むしろこの本読んだら他の本は要らないのではと思うくらい、私にはハマりました。『嫌われる勇気』についてはまた改めて書きますが、この本からは「アイデンティティを他人に依存すること…つまり、他人がいいと思ったことを自分のライフスタイルに取り入れる、「他人の人生を生きる」ことのアホらしさ」に気付かせてもらいました。 ちょうど大学3年生の後期…大学院への進学を決め、入試に向けた努力を始めた頃からキャリアについても考え始め、だんだんと大学1年時に患った四月病の呪縛から解放されていきました。
大学4年生 → コロナ禍で自分の学びを見つめ直す
大学に通う意味は人それぞれ。そもそも意味付けは、通い終えた時に各自がするもの。
学生身分を最大限に生かせる―――そう心待ちにしていた大学4年生。残り単位数も少なくなり、自由にいろいろな講義に顔を出しながら院試勉強を頑張ろうとしていた矢先、コロナのパンデミックが始まりました。元々インドア派だった私は大したストレスもなく過ごしていましたが、家にいて読書したり勉強したりする機会が増えたことで、自分のこれまでの学びを振り返る時間ができ、以下の考えに至りました。
4年で人は変われる。良くも、悪くも。
ここまで、私の4年間での精神構造の変化について書いてきましたが、もちろん良い変化ばかりではありません。悪い変化だってあります。それはまたの機会に書こうと思います。 4年間は短いようで長く、長いようで短いです。今、大学1年の自分を思い返すと、イタすぎて穴があったら入りたい。でも、今の自分がそう思えるということ=成長したということ、だと私は信じています。 だから今振り返って思うこと。この4年間は、非常に貴重でかけがえのない時間でした。卒業おめでとう私!次のステージに向かって、また頑張って行きましょう。 お読みくださりありがとうございました。
出典
- スティーブン・R・コヴィー『7つの習慣 人格主義の回復』(2013.8, キングベアー出版)
- 岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気』(2013.12, ダイヤモンド社)
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