「構想喫茶 まなざし社」とは?
「構想喫茶 まなざし社」とは、有志の若者たち(学生/社会人)により配信されるインターネットラジオです。コロナ禍で人とのふれあいが減っていく中、この特異な時を過ごす学生たちが様々なこと――近況報告や思い出、そしてこれからのこと――を語らう”喫茶店”(対話の場)として始まりました。台本や打ち合わせなどは一切なく、その日に集まった人々がお互いの思いを語り、聴き、日々へ還元していく時間。あなたも一緒に過ごしてみませんか。
5月6日のテーマは「嫌いな言葉」。深夜1:00に集まった5人(回帰線、キャベツ2号、こだま、テイラー、私)で収録を開始。若干声に眠さが滲んでいる人もいるものの、話し始めれば元気元気。
それでは、5月6日の収録を一部ピックアップしてお届けする。
最新話を公開しました。ゴールデンウィークの録音。https://t.co/Ken41G9H86
— 構想喫茶(まなざし社) (@kissa_koso) May 16, 2021
2021年5月6日の収録
本日のトピックは大きく分けて2つ。
└”学歴ロンダ”という言葉を「使う側の心理」「使われる側の心理」
② 言葉の不確実性について
└1つの言葉の受け取り方が違うことから生まれる可能性について
① 嫌いな言葉:学歴ロンダ

嫌いな言葉っていろいろあるけど「学歴ロンダ」は本当に嫌い。
今回の収録は、私が前々から考えてきた「嫌いな言葉」についての共有から開始。その中でも、私的キング・オブ・嫌いな言葉である「学歴ロンダ」について皆の意見をお聞かせいただいた。
学歴ロンダリングとは、日本で大学院進学の際に自身の出身大学よりも更に上のレベル(学歴)の大学院に進学することを指すインターネットスラングである。(中略)ネガティブな意味あいで使われることが多い。
(ニコニコ大百科「学歴ロンダリング」より抜粋・要約)
そもそもこの話をしたいと思ったきっかけは、院試勉強中にとある友達と交わした会話だ。私が目指してい(て今進学し)た大学院は、学部時代の学校よりも世間的に上と評価されている大学だった。それを聞いた彼女は私に「それって学歴ロンダじゃん」と言い放ったのだ。
その言葉を聞いた私は、その場では「ハハッ、そうだね…」と半笑いで受け流した。しかし心中では、鴻門の会に乗り込んだ樊噲も真っ青な勢いで怒髪冠を衝くが如き怒りを覚えていた。
実際に院進してからは、学歴ロンダという言葉を投げられることはほとんどない。しかしこの言葉は今でも心にわりと大きめの傷を残していて、学歴の在り方について私の頭を悩まし続けている。
「学歴ロンダ」という言葉を(誰かに向けて)使う側の心理とは?

自尊感情が低い…のかもしれないね。
誰かに「学歴ロンダ」のような言葉を投げる人間は自分に自信がないのではとキャベツ2号は考える。自分に自信がないからこそ、他人を蹴落とすことで自分を少しでも持ち上げようとする。まるで謙譲語の逆バージョン。
また彼曰く、「学歴ロンダ」にはまるで大学院に進んだこと自体が悪いことであるような響きがあるよねと指摘。そもそも「学歴ロンダ」は「マネーロンダ」を文字っており、“汚い”(=後ろ暗い)お金をある過程を経て“綺麗な”お金にする行為を、大学院進学の世界に持ち込んだものだ。つまり、「学歴ロンダ」という言葉そのもの自体に、”汚い” 前学歴を “きれいな” 新学歴で浄化する…といった意味が内在化されているのである。
キャベツくんはさらに「そもそも普通に一生懸命勉強して進学した人はロンダリングなんて言葉を知らないよね」と続けた。「院ロンダする」という卑下した感情が存在し、それをさらに(自ら)ネタにしている人、そしてそれを見て「冗談にしていい」と思わせてしまう雰囲気が「学歴ロンダ」という言葉には纏わりついている。

絵の界隈でも自尊感情が低い人がいて、ちょっと苦手かも…。
絵を描く回帰線くんは「私絵下手なんですよ~」って言いながら自分の絵を載せる人へもちょっと似た感情を覚えると話してくれた。また、自分も一時期そういう風に自分を卑下しながら作品を公開していた時期があったが、やめるようになったという。その理由は2つあって、①言霊的な感じで実際に自分の絵が悪く見えてくる、②自分の絵を評価してくれている人の見る目も間接的に貶めることになる、から。

一番大事なもの…本質を見落としていると思う。
テイラー曰く、こういう人は本質を見落としている、とのこと。なぜならば本来、人のやっていることなんてどうだっていいはずだから。学歴について言ってくるやつは、低い学歴を恥じる気持ちがあるからそういう発言をする。絵の能力を卑下するのも自己防衛の一種かも。でもそもそも、本質はそこじゃない。勉強だって絵だって、本当にやりたいなら場所なんて関係なくどこでもできる。もちろん「あの人はすごい」の気持ちは大事だが、あえてネガティブな見方をしても自分のためにならないよね、と指摘。
なぜ私は「怒髪冠を衝いた」のか?

これってやっぱり、「図星を突かれた」からだったのかなぁ…。だとしたら無意識のうちに学歴ロンダを意識してたってことだよね(それってなんか嫌だなぁモヤモヤ)

(学歴ロンダという言葉が)“気になった“って時点で、そういう評価のされ方があると知っていた or 若干自分の中にそういう要素が無きにしも非ずだったのかも。でもそれに自覚的になれたってことは、それ自体が次にいく(=学歴ロンダという言葉を嫌だと思った諸々の事象を乗り越える)ためのステップだよね。

自分が一生懸命やってきたことを一言で簡単にまとめられたことへの怒り?もあると思う。

逆に、そこまで自分が怒れたってことは、それに相当自信があったってことでもあるよね。だって、ちょっとでも後ろめたさがあったら「自分そこまで怒れないわ」ってなるはずだから。
② 言葉の不確実性について
話は移り、「言葉の不確実性」についての話に。今回の「学歴ロンダ」のように、人によってある言葉の受け取り方・感じ方・使い方が違うからこそ、生まれる良いこと/悪いことを話した。

「気が狂ってる」って言葉が苦手。「死ね」って言葉も。なんか、ストレートで安易な言葉に逃げている気がして。誰かが感情を露にしているところを見るのが嫌かな…。感情を露にしているからって、自分への影響は微々たるものなのに。

「死ね」に関してはもはや無意識で言っている節はある。本当に死ねって思っていることは98%ない。自分でコントロールできないことへの不満を「死ね」って言葉で表しているのかな、と思う。

そもそも言葉の意味合いって、人によって全然違うからね。だから言語はすごい。常にその不確かさの中で生きている。コミュニケーションの難しさはここにあるよね。
ある言葉が指す意味が不確実で、あらゆる可能性を包含しているからこそ、言語も言葉も面白い。時にはそこに齟齬も生まれるけど、いろんな解釈の余地が生まれるから、いろんな作品ができあがる。
言葉に不確実性がなければ、もしかしたら揉め事は減るのかもしれないが、音楽や小説の受け取り方は画一化されてしまうだろう。それはそれでつまらないよなぁ、と少し思った。
次回もお楽しみに!!
【構想喫茶 まなざし社】
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