教育系YouTuberの功罪 ―― 彼らが教育に及ぼした影響とは?

はじめに

教育系YouTuberが激アツ

最近、教育系YouTuberにハマっている。きっかけは「中田敦彦のYouTube大学」の「創価学会の授業」を視聴したことで、YouTubeの持つ教育の力に強く惹かれたことだった。あっちゃんの話術はすごい。彼が表情豊かに情熱的に話すのを聞いていると、視聴開始時にはさして興味のなかった話題も、なんだか面白く感じてくる。

それ以降、両学長(現在『お金の大学』でベストセラーとなっている)の「リベラルアーツ大学」をはじめ、FPの講義や歴史の解説など、幅広い分野のYouTubeを視聴するようになった。コロナでスマホを見る時間が増えたこともあり、教育系YouTuberの視聴時間はコロナ前と比較して激増している。

同じように学んでいる人は多いだろう。「YouTube大学」のチャンネル登録者数は376万人、両学長も113万人。アルバイト先の塾の教え子も「試験前にはYouTubeにあがっている授業見てる!」と言っていた。教育系YouTuberは激アツのトレンドなのである。

大学院の授業が始まって感じた”違和感”

4月から大学院生活をスタートした私は、今週からさっそく講義を受け始めた。コロナのためゼミ以外は全てオンライン。学部時代に通っていた大学では、ほぼ全てオンデマンド講義(録画された講義を好きな時に見られる)だったが、今の大学では全てがリアルタイム講義。Zoomにログインして教授の講義を聞き、それを踏まえて討論する…という形態がほとんどとなった。

そんなこんなでリアルタイムの講義を受けている最中、自分の中に”ある変化”が生まれているのに気が付いた。それは、講義の最中、

「あれ…テンポが遅い。ちょっと早送りしたい」
「今って、全体の流れのどこを話しているんだろう…話の流れの全体図を見たいな」

と頻繁に思って苛立ちを覚えてしまったことである。こんなこと、2年前に対面で授業を受けていた時には思いもしなかった。「講義は早送りできるものではない」、それが常識だった。退屈なら聞き流しながら内職する。聞いている対象自体を速めるという発想はなかった。

つまり、人の話を聞く際の態度に変化が生まれていたのである。私はこの原因が「教育系YouTuberに馴れてしまったこと」に原因があると考えた。

そこで今日は、教育系YouTuberが我々学習者にもたらした功罪―――YouTubeを通した講義の「良い点」と「悪い点」について、私なりの意見を述べていく。これを機に、あなたも「学びの形態」について考えてみてほしい。

教育系YouTuberがもたらした「良いこと」

学びが身近になった

教育系YouTubeの最大のメリットともいえるのがこの「学びを身近にする力」だ。例として「YouTube大学」の『三四郎』の授業を挙げよう。歯の少ない芸人ではなく夏目漱石の恋愛小説である。

【三四郎①】夏目漱石の純愛小説〜ストーリー前編〜

皆さんは『三四郎』ご存じだろうか。田舎出身の純朴な少年・三四郎が、気儘で自由だがどこか影のある美少女・美禰子に恋をする、夏目漱石の恋愛小説である。

今まで、こうした明治の文学を楽しもうと思うなら、

①原典をあたる(=岩波文庫など本を手に取る)
②漫画で読む(要約している漫画を読む)
③授業を受ける(大学だけでなく中高の現代文の授業など)

などの手法しかなかった。しかし、①②はそもそも本を読むのが苦手な人には不向き。③は多くの場合難解な解説が展開されることが多く、かなりとっつきづらい。しかしYouTuberはここに、④音と字幕で聞く、という手法を追加したのである。文字を追うことが苦手な人にとっては本当に画期的だ。音声で抑揚つけて語られる言葉は、時として単なる文字列よりも力を持つ。

見やすい。聞きやすい。

しかも、いつでもどこでも聞ける。自由に止められる。わざわざ大学に行く必要もなく、難解な板書を読み解く必要もない。そして、重要な箇所にはきっちり字幕がついており、記憶に残りやすい。視聴速度でいえば、倍速ができる点・飛ばせる点も強みだろう。

また、全年齢層向けに発信されているので、非常に理解しやすい。分かりにくいところは掘り下げ、例を多用し、アニメーションをつけるなどして理解しやすく工夫されている。教授の中には「分からない=学習者の努力・知識が足りない」というスタンスで講義をする人がいるのに対し、YouTuberは「誰もが分かりやすいコンテンツ作り」に尽力している印象を受ける。

教育系YouTuberがもたらした「悪いこと」

ここまでYouTubeの良さについて触れてきたが、「悪さ」はどんな点にあるのだろうか。

テンポの悪い言葉を集中して聞く力が薄れる

まず「てきぱきと進まない話を聞く力」が低下した。YouTuber達の話はテンポ良く、また編集で余計な間が削除されているため話がコンパクトに進んでいくのに対し、大学の講義など生で人が喋っている音声は、総じてテンポが悪い(当然)。言葉を探す間や抑揚、展開を意識した話の構成などが考え抜かれているわけではないので、YouTuberの喋りに馴れた人には退屈に感じてしまう。

また、字幕がない影響は大きい。どこが重要なのかにパッと気づけない。勿論、人の話を聞いていて「どこが大事なのか」を判断するのは個々人であり、それを吸収することが受講する人間の役割である。言いたいのは、その力自体がYouTubeの影響で下がっているということだ。

人と対話する中で出される独創的な考えや主張は、その場でぽろっと出てくることが多い。当然、思い付きも含まれるので論理的によく考え込まれたものではないことも多々ある。そうした言葉を、テンポの悪さゆえに聞き逃してしまうのは非常に勿体ない。相手が何を言おうとしているのか、掴もうとする努力を怠ってはいけない。それをYouTubeでは鍛えることができないのだ。

「分かりやすさの罠」がある

そして、YouTube講義が「分かりやすすぎる」こともまた問題かもしれない。池上彰『わかりやすさの罠』(集英社新書)でも触れられていたが、「分かりやすい=単純化されすぎている」可能性もある。分かりやすく単純化された言葉は、背景や文脈が失われた短い言葉(”不法移民が職を奪っている!壁を築け!”)かもしれず、表面的な理解に終始させてしまう可能性があるのだ。

例として、YouTube大学の「『三四郎』の講義」を挙げよう。

【三四郎②】夏目漱石の純愛小説〜ストーリー後編&パーフェクト分析〜

2:55あたりから、主人公・三四郎が美禰子と「迷子の英訳」について話した後、ぬかるみを避けようとした美禰子が三四郎の腕に飛び込んでしまうハプニングシーンの解説が始まる。「迷子」の英訳が「Stray Sheep」だと言った美禰子は、飛びこんだ三四郎の腕の中で小さく「Stray Sheep」と囁く。それをあっちゃんは”トレンディーでしょ?”と説明した。

しかし、原作を読んだ私は「その解釈は少し浅いのでは」と感じた。確かに絵面だけ見たら相当トレンディーである。女の子を助けようとしてラッキーな体勢になる、これはもう男女のお約束展開である。しかし、これ以前に2人は「Stray Sheep」という語や、周囲の人間関係を巡る話をしており、美禰子が「Stray Sheep」と囁くに至るまでには相当な伏線が張られている。そうした文脈を一切無視し、その構図だけを切り取って「トレンディー」と評してしまうと、三四郎と美禰子の微妙な関係に光が当たらなくなってしまうかも、と感じた。

おわりに

私は全体として、教育系YouTuberにはかなり肯定的である。今回はあえて批判的思考で書いてみた。
彼らは学びに対するハードルを驚くほど低く下げてくれる。これを徹底的に活用しない手はない。しかし大切なのは「自分でも、自分なりに、広げよう・深めようとする努力」であることは間違いない。YouTuberだって間違える。言うことを鵜呑みにしていたら間違った学びが身についてしまう。自分で調べてみたり、YouTubeで紹介されている本を実際に読んでみたりなど、自分で動いてこそ、自分の中で息づいていくことを忘れずに、YouTubeと付き合っていこう。

出典

  • 池上彰『わかりやすさの罠 池上流「知る力」の鍛え方』(2019.2, 集英社新書)

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